2001年 ドバイ トルコの旅 4 (トルコ3)

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  9月17日 (月)
   「デデマン デデマン」車掌に起こされた。バスに乗る時、デデマンで
  下ろすように頼んであった。朝5時はまだ暗い。ホテルらしい建物はない。
  はて どうしたものか?夜明けは寒い。セーターの上にヤッケを着ても寒い。
  暗がりを足音がする。一人の青年だ。"Hello! I'm a Jew." 先ず名のった。
  イスラムではないよ、ということか。こちらも"Hello! We are Japanese."
  すぐ聞いた。「ここはどこですか」。「ギョレメです。ホテル デデマンは
  ネヴシェヒルとギョレメの境にあります。通り過ぎました」。電話ボックスに
  案内してホテルに電話し車を廻してくれるように、頼んでくれた。
  お礼にそのテレフォンカードを差し上げようとした。「これは旅に必要です」
  と押し戻し、右手を胸にお辞儀して暗がりを去っていった。
  白々と夜が明けるころ車が来た。20分ほど走ったか。道路の左側、「デデマン」と
  ネオンが輝いている。豪華ホテルだ。
  路線バスの車掌が知らない訳はない。故意か、寝過ごしたか。(中略)

  

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   仮眠をして、フロントに午後のツアーを訊いた。ガイド ドライバー付き12000円。
  先ずウチヒサルへ。ウチヒサルは「尖った塔」という意味で、遠目にもわかる大きな一枚岩だ。その奇岩を中心に、村が
  出来て、奇岩がそのまま住居になっている。当時の人々は奇岩の上部に鳩を飼って、糞を肥料に、農作物を作り葡萄を栽培した。
   ウチヒサルからギョレメに出る右側一帯がギョレメパノラマ。カッパドキアは広大な溶岩台地だ。エルジエス山が噴火して
  火山灰と溶岩が交互に積み重なり、柔らかい部分は浸食され、硬い部分が残って奇岩群となったとガイドが話してくれた。
  大小全ての岩はとんがり帽子を被り、ところどころ穴が開いているのが、人間の表情に似て面白い。これが見晴るかす限り、
  続いているのだから、まさに絶景だ。
  

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   野外博物館は、今朝車掌が我々をバスから下ろし、「デデマン」と指さしたバス停から、ほど近い。今朝は何も
  見えなかったが、日本と同じ花、コスモスがきれいに咲いていた。
  高台一帯は無数の洞窟が掘られ、4世紀頃から修道士が住んでいたという。葡萄酒を作った所、ランプを置いたくぼみ、
  よく工夫されている。夏涼しくて冬暖かいそうだ。ギョレメには洞窟ホテルも沢山あるとのこと。教会には色鮮やかな
  フレスコ画が多数残されていた。
   車はアバノスへ。陶芸の町だ。近くを流れるクズル川の土を使って、作る焼き物はヒッタイト時代(BC2000ー700)
  からの伝統産業だそうだ。大きな立派な皿が所狭しと掛けたり、並んだりしていた。
  アバノスからの帰途、パシャバーへ。「修道士の畑」という意味で、今も砂地に野葡萄が這っている。ここの岩はまた
  独特で、きのこ岩と言われ、体の上に小さく頭が乗っている。きのこ岩を妖精の煙突といって、人々は妖精の仕業と
  考えたとか。

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   次に案内された所は、ゼルベの谷。ビジョンバレーと呼ばれ、岩の形からいろいろ想像するのだとか。
  あれは「わし」、あれは「くま」。岩肌は黄色と白とピンク、広大な谷を見下ろしながら、高台の大きな岩の間を
  経めぐった。この辺りは巨岩で、上に乗ってる頭が非常に小さい。
   再びギョレメ方向に戻り、ワイナリーへ。更にトルコ石専門店に寄った。最後にもう一か所ローズバレーの夕日を
  彼らは考えていた。ところがトルコ石で大いに時間がかかり、遅くなってしまった。すでに谷は夕日に染まっている。
  大急ぎで急坂を上る。ドライバーもガイドも一生懸命だ。もうこれだけで十分だと思った。沈む太陽と競争で頂上に。
  小さく真っ赤な光りを、真っ黒い大地が呑み込もうとしていた。残照は見事だった。

   明日はカイマクルの地下都市、ウフララ渓谷の散策、スターウォーズの一場面となった奇岩地帯、アウズカラハン
    キャラバンサライを予定して、また二人に頼むことにした。(紀行文 ドバイ トルコの旅より)
       

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